2019年02月28日

イエス・キリストと同じ言葉を話す村「マアルーラ」

シリアの首都ダマスカスの北約60kmの山間部に、キリスト教徒が多く住む町、マアルーラがあります。
マアルーラは、イエス・キリストと同じ言葉を話す人々が暮らす村と知られています。
シリアの公用語はアラビア語ですが、ここマアルーラでは、キリストが話していたとされるアラム語が現在も話されています。

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町には複数の教会・修道院が点在しています。
そのうちの1つサルキス修道院は、4世紀頃の建設とされ、世界最古の教会の一つして知られています。
しかし、外観はどう見ても新しそうです。
地元の人に尋ねてみると、「この間の戦闘の後、修復したのです」とのことでした。

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2013年10月、アルカーイダ系の反体制武装勢力「ヌスラ戦線」がマアルーラに侵攻して制圧し、翌年4月に政府軍の反撃を受けて退却するまで、マアルーラを実効支配していました。
サルキス修道院が被害を受けましたが、近くの高級ホテル「サフィール」は完全に破壊され廃墟となりました。

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マアルーラへの道中、政府軍の検問所を何度も通りました。
戦闘中他の地域に逃れていた人々の多くは帰還しましたが、ほぼすべての住宅の壁に生々しい銃弾の跡が残っていました。

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そうした事実に思いをはせている最中、突然、近くで銃声が聞こえました。
何事だろうと思いきましたが、それは、祝祭のパレードが始まる合図でした。
訪問した日は、ちょうど「聖十字架祭」に当たっていたのです。
エルサレムでキリストの磔刑に使われたとされる十字架の破片が、4世紀に発見された故事に因んでいます。

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ダマスカス北郊の山岳地帯独特の、荒々しい調子の歌を歌いながら行進する男達。
パレードに参加した政府軍の兵士が自動小銃を空に向けて乱射すると、歓声が上がります。
修道院から出てきた修道女たちも、愉快そうにそれを眺めています。
普段は物静かなマアルーラの人々の、意外な一面を見た気がしました。



ダマスカスからマアルーラに向かう道中の真ん中あたりにも、キリスト教徒が多数を占める町サイドナヤーがあります。

この町の周辺でも戦闘が頻発したそうですが、町自体はほとんど被害を受けていないように見えました。
この町の小高い丘の上にも大きな修道院があります。

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町は今も政府軍によって厳重に警備されており、検問所の通過にかなりの時間を要しました。





posted by Backbone at 00:36| シリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月19日

NHK BS-4K『シリーズ世界の宗教建築(スレイマニエ・モスク)』が明日放送予定

NHK BS-4K『シリーズ世界の宗教建築〜人が祈りを捧げる空間〜』のなかで、3回にわたって、3つのモスクが取り上げられる予定です。

明日2月20日(水)の午前6時20分〜の放送回では、トルコのイスタンブールにある「スレイマニエ・モスク」が登場します。

◆シリーズ 世界の宗教建築「スレイマニエ・モスク トルコ」
2019年2月20日(水)午前6時20分〜 午前6時45分 NHK BS-4K



世界の建築や歴史、文化に関心のある方、貴重な映像を是非お楽しみください。


NHK番組公式WEBサイトより
●シリーズ 世界の宗教建築「スレイマニエ・モスク トルコ」
2019年2月20日(水)午前6時20分〜 午前6時45分 NHK BS-4K

現在のトルコ・イスタンブールの丘に立つ巨大なスレイマニエ・モスク。オスマン帝国黄金期の象徴とされ、長くイスタンブールの地にイスラムの文化を広めてきた宗教建築。

トルコ・イスタンブールの丘に立つスレイマニエ・モスクはオスマン帝国黄金期の象徴とされ、1550年スレイマン1世スルタンによってわずか7年で完成した。バルカン半島からイラク、エジプトにまで領土を拡大した帝国の権力を内外に示すために作られたこの巨大なモスクは、当時の最高の職人や芸術家を集めて装飾が施された。周囲に学校や病院を配した複合施設として長くイスタンブールの地にイスラムの文化を広めてきた宗教建築



●『シリーズ 世界の宗教建築』過去の放送内容

・2月13日(水)「聖都 エルサレム」
・2月6日(水)「聖ワシリイ大聖堂」
・1月30日(水)「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」
・1月23日(水)「シャルトル大聖堂」




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posted by Backbone at 08:00| 中東 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月18日

十字軍の要塞『クラック・デ・シュヴァリエ』の現在

シリアのホムス県西部、地中海まであと30kmほどの山の上に、かつての十字軍要塞『クラック・デ・シュヴァリエ』があります。
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2006年、『クラック・デ・シュヴァリエとサラディン城』として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
(*2013年、危機遺産リストに登録)

◆クラック・デ・シュヴァリエとサラディン城(ユネスコ公式ページ)



現在残る要塞は、12世紀に聖ヨハネ騎士団が建設したもので、世界で最も保存状態の良い十字軍要塞の1つとして知られています。
パルミラ遺跡と並んで、シリアにおける有数の観光地としても有名でした。

「ここを訪れる観光客は、この場所から見えるクラック・デ・シュヴァリエが一番美しいと言っていたよ」
観光職員のマフムード氏が連れて行ってくれた場所は、政府軍と反体制武装勢力との戦闘で廃墟となったレストランでした。
内戦前は多くの観光客でにぎわっていたそうです。
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クラック・デ・シュヴァリエと周辺の村での戦闘は2年以上続き、2014年の春に政府軍に再制圧されました。

廃墟の窓からは、今も、クラック・デ・シュヴァリエのみならず周囲の山々や農村が見渡せ、素晴らしい眺めでした↓。
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そこに近所の子どもたちが「「2階に凶暴な犬達がいるから気を付けて」」とやって来ました。
ここで繰り広げられた十字軍とマムルーク朝の死闘について滔々と語っていたマフムード氏は、「どうする?逃げようか・・」と困惑模様。
しかし、当の子どもたちは平然と階段を上がっていきます。

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子どもたちが連れてきたのは2匹の子犬でした。
犬の親子が2階に住み着いているようです。


クラック・デ・シュヴァリエ周辺の村の住宅には今も銃弾の跡が残っていますが、住民の多くが帰還しているとのことでした。


ここから、クラック・デ・シュヴァリエへ向かいました。

要塞の入口です。
ここには、シリア国旗と共に、ロシアの国旗も掲げられています。
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ロシア兵の姿は見えませんでしたが、パルミラ遺跡の近くではロシア軍の装甲車を見かけました。


城塞の中は静まり返り、時が止まっているかのようです。
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誰もいないと思っていたチケット売り場の扉が開き、職員の男性がパンフレットを手に持って出てきました。
「クラック・デ・シュヴァリエにようこそ」
埃をはらって手渡してくれたそれは、10年ほど前に観光省が発行した日本語のパンフレットでした。
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内戦前には多くの日本人観光客がここを訪れていたのです。


反体制武装勢力がこの周辺を実効支配していた際、彼らの「本部」がここクラック・デ・シュヴァリエに置かれていたそうです。
「こんな立派な城塞の主になることができて、さぞ愉快だったことだろう。うらやましいな」と、管理事務所の職員は笑っていました。
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礼拝堂は、13世紀、マムルーク朝の手に落ちた後に、モスクに改修されました。
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十字軍時代のフレスコ画が一部に残っています。
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帰りに管理事務所に寄ると、女性達が黙々と、何かを洗っていました。
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近所に住むアルバイトの女性達が洗っていたのは、人骨でした。
昨年の夏、ハンガリーの調査隊が、要塞内を発掘した際に発見したものだそうです。

「私達はまだ、クラック・デ・シュヴァリエの歴史のほんの一部しか目にしていないかもしれませんね」
ダマスカスから赴任して間もない考古総局の職員の方がそう話していました。

この場所に平和な日常が戻り、発掘や歴史研究が今後進んでいくことを願います。




posted by Backbone at 14:41| シリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする