2019年11月05日

モンテネグロのオストログ修道院


首都ポドゴリツァから北西に向かう国道M18号線を車で走りました。
まぶしいほどの青空の下、周囲にはブドウ畑や小麦畑が広がります。
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岩肌をくりぬいて作られたトンネルを超え、風の心地よさから徐々に高度が上がっていくのが感じられます。
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途中、裸足で坂道を上っていく人たちをたくさん見かけました。
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坂を上っていく人たちが目指していたのは、そう、ここ、オストログ修道院です。
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標高800メートル、九十九折の坂道を延々と上った先の長い階段の末に、この修道院はあります。

修道院の入口付近では、たくさんの人が毛布を敷いて休んでいました。
モンテネグロの近隣諸国から巡礼に来た人達はこの場所で祈り、修道院の傍で2日間を過ごした後にそれぞれ帰途につくんだそうです。
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断崖絶壁に埋め込まれたように建つ白亜のオストログ修道院は、ダニロヴグラード自治体内に位置し、聖母被昇天教会と聖十字架教会という二つの教会で構成されています。モンテネグロ最大のキリスト教の聖地であり、世界中から毎年10万とも100万ともいわれる人々が巡礼に訪れます。
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修道院は17世紀に聖ヴァシリエというひとりの修道士によって築かれました。それ以降、俗世と切り離されたこの土地で、多くの修道士が祈りを捧げてきました。

岩間から湧き出る聖なる水。この水を飲むだけで、身も心も洗われ、それまでその人の起こった忌わしい出来事をすべて洗い流してくれるんだそうです。
裸足でここまで上ってきた人たちは、新しい人生を切り開く願掛けをしているのです。
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こんな小さな巡礼者が昼寝から目覚めました。
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セルビアからやってきた家族です。数年前から今回の巡礼を計画していて、やっと実現したんだそうです。
「ここで、マケドニアから来た巡礼者と知り合うことができたんだ。ここは『世界の窓』のような場所だよ」
長男がそう語ってくれました。
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教会から山の下を見下ろした風景です。
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「オスマントルコ時代、セルビア正教徒は、山の上のより高い所へ隠れるようにストーンハウスを築き、周囲の山を工夫して開墾して、自分たちの命と生活、信仰を数世紀の間守って来たんですよ」
そう話してくださったのはポドゴリツァからやって来た日帰りの巡礼者です。
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山の下からは上にある修道院も民家も畑も見えず、木々が隠れ蓑の役目を果たしてくれたそうです。

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2019年10月21日

モンテネグロの首都ポドゴリツァ

モンテネグロはバルカン半島に位置する人口62万人の小さな国です。
首都はポドゴリツァ。
現在モンテネグロ最大の都市です。
山々に囲まれ二つ川が合流するこの町の歴史は古代ローマ以前にさかのぼり、歴史の中で何度も町の名を変えてきました。
年配の方であれば、第二次世界大戦後から1992年までの名称「ティトーグラード」のほうがなじみがあるかもしれません。

街の中心には、独立広場(旧・共和国広場)があります。
2006年の大規模な改修で全体が舗装され、中央に噴水が建設されて、車の入らない広場になりました。
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街のあちこちのベンチで、市民がくつろぎの時間を過ごしていました。

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ベンチに座る二人の女性


中心街の古い建物が立ち並ぶ一角で、こんなアート作品を見つけました。
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カフェバーも派手に塗られています。
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恐る恐る中に入ってみると。
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中は、若者たちの仕事場兼社交場でした。
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この若い三人組には、郷土料理の穴場を教えてもらいました。


洒落た小物のお店の入口には武器をもった男性と楽器の絵が。
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街のあちこちに銅像もあります。
ちなみに、これは、ロシアの文豪、プーシキンの銅像だそうです。
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道を尋ねると、誰もが親切に答えてくれます。
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旧市街にも行ってみました。
ここは現在も住民の生活空間です。
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旧市街で暮らすこの男性は、毎日夕方4時頃から、ここで地元のビールを1本飲むのが日課だと言っていました。とは言いながら、瓶は2本ありますね👀。
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町の中心から15分以内で歩けるようなこじんまりした首都。
この街にいると、時間の流れの速度がとてもゆるやかに感じられ、ベンチでのんびりしたくなる気持ちも分かります。

ベンチの傍に咲く小さな花までが癒してくれるというおまけつきでした。
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2019年10月11日

本日サウジアラビアのリヤドでBTSがスタジアムライブコンサート!

本日10月11日午後7時半(日本時間の12日午前1時半)、サウジアラビの首都リヤドのキング・キング・ファハド国際スタジアムにおいて、韓国の世界的人気アーティストで日本でも人気の高い『防弾少年団(BTS)』のライブコンサートを開かれます。
その映像は日本にも生中継されます。

BTSは、サウジアラビアにおいて、最もストリーミング回数の多いKポップアーティストで、特に10代の若者の人気が高いようです。

このコンサートは、サウジアラビアのスタジアムでアラブ圏以外の歌手が行う初の試み。

ライブスタジアムのあるリヤドの街も大歓迎ムード。
BTSのために街を紫色に変わっています。








ちなみに、紫色はBTSを象徴する色だとのこと。
BTSに詳しい友人から聞いた話では、メンバーの「ヴィ(V)」(愛称はテテ)が「i purple u」と言ってから、ファンの間で紫色が特別な色になったんだとか。
ネット上でも、BTSに関する書き込みには紫色のハートが並び、「I purple u」のいわれについてもいろいろ書かれています。


しかし、しかし、
あのサウジアラビアで?
あの韓国のBTSが?
スタジアムでライブ?

考えれば、これは、かなり衝撃的なニュースです。


サウジアラビアは、先月末、日本や韓国を含む49か国に対して観光ビザの発給を開始すると発表しました。
2016年にムハンマド・ビン・サルマーン皇太子が打ち出したサウジアラビアの脱石油時代を準備するための改革案「ビジョン2030」。
その中の観光産業の成長戦略の一つがエンターテインメント事業でした。
今回のBTSのライブコンサートは、そうした改革の流れの中において、大きな歴史的一歩だと言えそうですね。

今日のコンサートには、アバーヤとヒジャーブに身を包んだ女性もたくさん来ているそうです。

今後、サウジアラビアが、日本人にとっても、より身近な国になっていけばと、ちょっと楽しみです。





posted by Backbone at 19:28| サウジアラビア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月10日

10月16日放送のBS-TBS『新・地球絶景紀行』はエジプトです!

BS-TBSの『地球絶景紀行』が、『新・地球絶景紀行』というタイトルで復活します。

初回の2時間スペシャルは、エジプトで撮影されました。


地中海沿岸のアレクサンドリアから、首都カイロやピラミッドのあるギザ、古代エジプトの都であった遺跡の宝庫ルクソールを経て、ヌビアのアブシンベル神殿まで、ナイル川をさかのぼっていきます。

エジプトファンの方だけでなく、古代エジプトや遺跡に関心のある方、海外の生活や食べ物に興味のある方、ただただきれいな風景を見たい方、どなたにもお楽しみいただける番組となっております。

何より、ナイルとその沿岸の美しい映像、まさに“絶景”を、是非ご覧になってください。

BS-TBS『新・地球絶景紀行』
#1 エジプト・ナイル 今昔物語
2019年10月16日(水)放送
初回は2時間スペシャルで、よる9時から放送!




■『新・地球絶景紀行』公式サイトより
日本から飛行機で13時間のフライトで行くエジプト。今回は地中海から南のアブシンベルまで、ナイル川沿い1500キロを大縦断!歴代の王たちが残した4つの世界遺産を巡ります。そこで出会ったのは5000年変わらぬ姿と今を生きる人々が築きあげた絶景です。

旅の始まりはエジプト第二の都市、アレクサンドリア。地中海沿いのこの街は、
エジプト国内だけでなく、ヨーロッパなどから年間何百万人も訪れる人気のリゾート地。この街の特徴は、クレオパトラが愛した街だということ。学校や駅、市場などあらゆる場所にその名前が刻まれ、目の前の海にはクレオパトラがすごした神殿が海底遺跡として埋まっている。そしてもう一つのこの街の名物は何と言っても地中海で取れる新鮮な魚。旬だというボラのグリル焼きや、小ぶりで柔らかいのが特徴のイカをクレオパトラの神殿が埋まっているという地中海を見渡せるレストランでいただきます。

ナイル川沿いにはナツメヤシの実を取る風景が広がる。古代エジプトの時代から変わらず、素足で登って収穫。この実と水さえあれば生きていけるという、砂漠ではかかせない栄養源。エジプトの首都カイロ。人口約1000万人を抱える大都市へと成長。中心部をナイル川が流れ、ピラミッドがあるギザ地区など、いくつかのエリアに別れています。カイロの定番はコシャリというエジプトならではの辛口のファーストフードを食べて甘口のアイスを食べること。カイロに来たらはずせない巨大な市場、ハーンハリーリへも。

そしてギザの3大ピラミッドも。高さは139m、1辺の長さが230mある四角錐の形。200万個以上の石を積み上げて作られている。約4500年前の古代エジプト第4王朝の時代クフ王のピラミッドは2万人もの労働者たちが20年をかけて建設されたといわれています。その当時はナイル川がこの近くを流れていて建設用の切り出した岩や生活のための物資を船で運ぶことで完成しました。
そして息子のカフラー王、そして孫にあたるメンカウラー王のピラミッドが並び立っています。これは3代にわたる王の家族のピラミッドなのです。一番巨大なクフ王のピラミッドの内部へも。最近、新発見があり、日本とフランスとエジプトの共同チームが特殊な技術でクフ王の間の壁の向こうに長さ30メートルの巨大空間があることを発見したそう。

そしてあまり観光客が行かない、ラクダを売るラクダ市場へ。ビルカーシュという村で国中のラクダの商いをする人が集まるところ。そこで思わぬ食体験も。そしてカイロの最後に、出来たばかりのホテルの屋上で素晴らしいピラミッドの絶景に出会う。茜色に染まった空を背景にピラミッドのシルエットが浮かび上がります。

ルクソールはかつてテーベと呼ばれ、古代エジプトの時代、都となった場所。ナイル川をはさんで東西に、たくさんの神殿や遺跡があり、エジプトでも最大級の、カルナック神殿へ。神殿の建築は3500年前に始まり、歴代の王たちによって、増築された。その広さは東京ドームおよそ22個分。建設にかかわった王は30人以上いるといわれている。彼らは、戦いに勝利するたび神に感謝し、神殿の増築を繰り返した。

エジプト史上初女性として最も強大な権力をほこったハトシェプスト女王の葬祭殿へも。葬祭殿とは、王の葬儀や礼拝のために建てられた建物のこと。山の目の前につくられ、当時では珍しい3階建てのデザインも女王が権力を見せつけるために作ったといわれている。
旅はルクソールから、アスワンまでクルーズ船で移動。豪華な客船で優雅な時間が過ごせます。アスワンでは独特の言語や、生活習慣を持つヌビアの人々が住む村へ。

そして旅の最終地アブ・シンベル神殿へ。
紀元前1300年、古代エジプト新王国時代、当時絶大な権力を握った王、ラメセス2世によって建てられたアブシンベル神殿。石造の高さはおよそ21メートル。正面にある4体の像はすべて自身の姿。当時では90歳という驚異的な年齢まで生きながらえ、少なくとも80人の子供を作ったと言われる、エジプト最強の王でした。エジプトで一番最初に世界遺産に認定された神殿。51年前、アスワンハイダムを作る際に人口湖ができて、神殿が水没する危機が訪れた。そのためエジプトの職人たちが、神殿をブロックに切断して運び、今ある場所に、そっくりそのまま、組み立てなおしたという。移築作業に携わった当時の職人の元へ。神殿復活の秘話に迫ります。




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2019年07月20日

ジョージア アッパー・スヴァネティの不思議な景色(2)石の塔の建設

前々回ご紹介したジョージアのアッパー・スヴァネティ地方の石の塔について、もう少し詳しくご紹介します。
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下の写真の塔は、すでに居住住分がなくなってしまったものです。
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どの塔の入り口も、簡単には中に入れないように、地面より高く作られています。
塔は、侵略者が村の仲間でやってきた際にいち早く避難できるよう、同居親族ごとに建てられたそうです。

塔の中に入るとこんな梯子がかかっています。
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侵略者に中に入って来れられないように、家族全員が上った後には、この梯子を引き上げて外し、石の蓋を閉めていました。
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塔の一番上には、攻撃をするために使われた窓がありました。
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下向きに開いた窓もあります。
侵略者に向かって石を投げたり、熱湯を落としたりもしたそうです。
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この窓は、別の塔にいる村人とコミュニケーションを取るためにも使われました。
この窓からロープを引いておいて、隣同士外に出ることなく食料や水を送りあったりもしたそうです。
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塔の建設は、近郊の山で採れる花崗岩、近隣で採れる石灰岩、砂で作ったモルタルを交互に積み重ねて行われます。
現在も同じ方法で修復しているそうです。
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以前は、石の運搬に牛が使われていました。
夏の間に山の上で花崗岩を切り出しそのまま放置しておくと、冬に定期的に起こる雪崩によって山の麓へ落ちていくので、その石を拾って牛で村まで運んだんだとか。
現在は、牛ではなくトラックが修復用の花崗岩を運んでいます。
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下の写真のロシア製トラックは何十年も使われているんだそうです。
まだまだ役に立っていますね。
ひっくり返ってしまいそうな山の斜面や川の中をどんどん進みます。
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ユネスコの世界遺産にも指定されているジョージアのアッパー・スヴァネティ地方の世界で一つだけの特別な風景は、山脈と川に挟まれた雄大な山岳風景と大きな石造りの建造物のコラボレーションによって生み出されています。

posted by Backbone at 09:00| ジョージア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする